徐州市人民対外友好協会
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 中国歴史文化名城――徐州市   項羽と劉邦の里


           歴史の移り変わり 

   徐州は悠久たる歴史を持つ都市であり、六千年前のころ、徐州の先人は既にここで働いて生活してきた。原始社会末期に、彭祖という帝尭の臣が当市の銅山県を大彭氏国の都としたので、徐州はまた彭城とも呼ばれてきた。
  春秋戦国のころには、徐州は相次いで宋国と楚国に帰したが、秦の始皇帝が天下を統一した後、彭城県が設立されるようになった。
  楚漢時代、西楚の覇王と名乗る項羽が彭城を都とし、西漢のころに彭城郡が設けられ、東漢時期になると、ここは彭城国が設けられ、その国の都でもあった。
  三国時代、魏公の曹操が徐州刺史部を彭城に移させた、これによって彭城ははじめて徐州と呼ばれてきた。
  魏、晋、南北朝各時代に、徐州は彭城国の都になったことがあったが、多く置かれたのは治所(政治をとる役所の所在地)であった。
  隋朝のとき、最初は徐州が設置され、後に彭城郡が設け直され、彭城を治めた。
  唐の初期ごろ、何度も交換して徐州とか彭城郡と命名された、中後期になると節度使の駐在地であるようになった。
  五代時期に徐州と称され、彭城を治め、七つの県を管轄した。
  宋、元両時代にも徐州が設置されたが、隷属関係と管轄範囲における変化が頻繁であった。
  清朝ごろ、徐州はあい前後して江南省と江蘇省との直轄州であった。雍正末年、徐州府に昇進され、一州七県を管轄するようになった。
  中華民国の始め、府が廃止され、一時銅山県に管轄されたが、後に徐海道が設けられ、治所を銅山(徐州)に置かれた。
  汪精衛南京偽政府時期に、徐州市はまた銅山県を管轄し、偽淮海省の省都であるようになった。抗日戦争勝利後、なお国民政府より徐州市が設置され、江蘇省に従属してきた。
  中華人民共和国成立後、もとどおり徐州市が設けられていた。一時山東省に管轄されたことがあるが、まもなくあらためて江蘇省に分けられたと同時に、徐州市駐在で、十一の県、市を管轄する徐州専区(行政区画の一つ)が設立されるようになった。それ以来、徐州市と徐州専区が併存して、時期によってその隷属関係と管轄範囲が違ったこともある。一九八三年、江蘇省では市が県を管轄する体制を実行したので、徐州専区が取り除かれ、その六県の管轄権を徐州市に渡した。現在、徐州市は五区、六県(市)を管轄している。